能生町鬼舞〜参〜2日目      

2004年3月2日(火)

朝、部屋からの景色。
6:30から湯に入れる。
体調よ戻ってくれ!の思いは届かず
(どこに?)
微熱と喉の痛みと・・・お腹が・・・

朝食も半分しか入らず、
あの女の子に心配をかけてしまう。

もう、こうなったら腹を決める。帰ろう。
寝込んだら大変だから。
帰りも3通りも考えたが、北陸本線で帰るにしても、あんなに朝早くは出られないので時間が狂う。
能生駅10:08発しかない。
宿に9:15にタクシーに来てもらい
鬼舞の辺りを案内してもらう事にした。
左・タクシーの運転手さん。
ここより鬼舞(きぶ)


昔はここに電車が通っていたそうだ。
山と海が近くに迫っていて
地引き網を引けば、
ド〜〜ッサリ、いい魚が捕れたそうだ。
それをここにあった駅から
東京の方まで送り
活気があったそうだ。
ところが電車は山の方へ移されたり
海岸線の整備などによって環境が変わ
り今は、すたれてしまったそうだ。
鎮守様か氏神様か?
古くから鬼舞の人たちの信仰を受けてきた神社

また、この地方は、昔の北前船で有名。
日本海を見渡せる事のできる、
この場所で、
1番見晴らしの良い、この場所で、
大漁と船の安全を見守り続けてきた神。
神社にある半鐘(はんしょう)
漢字あってる?

みけの田舎にもあった。
たたき方が何種類もあって、
部落に一斉に伝わる
上手な人と下手な人がいたっけ。


最高に見晴らしのいい、この場所は、
うってつけ。
ここは避難場所でもあったろう。
ここより鬼伏

右は鬼伏の神社。
さっきの鬼舞の神社のすぐ近くだ

昨日の晩の管理人さんの話では、
昔々・・・鬼がおったそうな。
その鬼はいたずら者で、
鬼に舞わされたんが鬼舞
その鬼を伏せたのが鬼伏。

どちらも何件かしかない。
北前船で有名な○○家。
重要な資料などが山ほどあって、
新潟大学の研究室などが
長年文献を調べている
能生10:08発
富山11:31着
   11:51発特急しらさぎ8号名古屋行
米原   14:20着
      14:25発新快速網干行
高槻   15:30着
あとは普通に乗り換えて茨木まで。
その後バス。

結局日程表は全く役に立ちませんでした。

でも決して忘れられない旅になりました。

もう1度あの宿で、
あの人たちと今度は飲みあかしたいです。
茨木でバスを待っていた。
みけより少し上らしき おばさまが2人トコトコトコとやって来る。
バスが着いたが乗るでもなく行き先を見ている。
思い切って運転手さんに「阪急の山田行きはドコ?」と尋ねる。
「向こうの3番乗り場の1番奥の乗り場です」
「え?3番乗り場?あんた、3番乗り場やてー」
「ふ〜〜ん」
「え〜〜?3番乗り場のどこやて?」
「1番奥です」
「ふ〜〜ん。1番奥。え?何番乗り場やて?」
「3番乗り場の・・・まず3番乗り場。そのあと奥まで行くんです」
「ハハハ!3番3番・・・」

ところが、その2人組は4番乗り場の1番手前のバス停に。
優しい運転手さんは笑いながら走って行って連れてってあげました。
偶然行き会わせたわけですが、旅のしめくくりに最高でした。

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