大峯山・靡(なびき)を巡る

軍団・・大峯で騒ぐ・・とも言う・・

近鉄・六田駅〜金峯山寺・蔵王堂 2008.1.19.土 前編

え・・2006年・魔神夫婦と三峰山で出会い(その時はまだ魔神だとは知らなかった)・・それからメールのやりとりが始まり・・山へ一緒に騒ぎに行くようになり・・山岳ガイドのヌプリさんに魔神が近づき・・それまでに、しきりに大峯を宣伝していた事もあり・・ニャアの大好きな大峯の山々へと(ツアーではないコースなど)出かけることができるようになって・・うふふ・・の私・・

先日、こういう本を買った・・と・・ブログに載せたら、魔神もりりん早速取り寄せ、燃える★

・・という事で・・靡を巡る旅が始まったのだ。
黙々と行者さんの如く・・の・・はずが・・いつの間にか大騒ぎになって・・ま・・想像できたけどね・・


行くど〜★
8:49 近鉄・吉野線・六田(むだ)駅。

大峯奥駈の始まりは、ここ六田駅近くの「柳の渡」での水垢離から始まる。

2004年11月20日に近鉄電車のフリーハイクがあって参加して以来だ。
路・・覚えてるかなあ・・
ちなみに・・最初は「靡(なびき)」は「路(なびき)」と現されていたそうだ。
なんと、もりりんは本を持参!勉強しながら、探しながらの「靡巡り」となった。
8:55 「吉野軽便鉄道・発着駅」の標識。

これは、吉野線が、ここまでしか引かれていなかった事を示す標識。この六田の地は大峯奥駈への起点であるため、最初はここが終点であったのだそうだ。
そのうち吉野まで伸びたので、修行の起点が吉野に移ってしまったと、フリーハイクの時、行者さんから説明を受けた。(詳しくは前回の日記へ)





8:59 向こうに「柳の渡し」が見えてきた。昔は渡し船だった。

大淀町・教育委員会が建てた説明があるので、興味のある方はクリック♪
この下に見えている川で・・ふんどしひとつで・・水垢離・・
上流に向いて・・ふんどしひとつで・・くどいか?

もりりんにさせたかったが・・するとなるとスッポンポンでやりそうなので・・諦める。

或る程度詳しい様子が「大峯奥駈道・七十五靡」・・くどい?・・に書かれているので興味のあるマニアックな方は取り寄せて下さい。

本には・・

普段は舟で渡し、人出の多い桜の季節や、減水期には仮橋が架けられて歩いて渡った。天保十年(1839年)の聖護院宮の入峰の折には舟を並べて板を置き、その上に土砂をかぶせて土橋を作り、一行が渡り終えるとすぐに撤去したと書かれてある・・ね・・面白いでしょう!本を読みたくなったでしょ?
勉強中の魔神もりりん

「大雨洪水警報+雷注意報おとこ」だったけど、裏山の役行者様と御飯を一緒に食べてからは徐々に晴れの日が多くなる・・
9:06 橋を渡ると役行者様が出迎えてくれる。

ここに「第七十五行所・柳の宿」と書かれてあるが、ここが靡ではない。
・・と・・もりりんが本を読みながら教えてくれた。・・実は・・ニャアは3回ほど今日の所を読んできたのに、ほとんど覚えていない。昨年暮れに白内障の手術をしたが、脳みそも入れ替えたいものだ・・いや・・いっそ・・誰かの身体と入れ替わろうか・・?
突き当たりを左へ行くと・・少しして見覚えのある坂が見えてきた!
9:15
「あの坂や〜〜★〜〜あそこ登るで〜〜」

ここが修行に入って初めての坂なので「一の坂」。

(右の写真は2004年の時の→)

石の道標にも「大峯奥駈道・一の坂」と刻まれてある。





9:20
間違いなく進んでいると思うのに・・見覚えがあるのに・・ぐっちぃさんの向こうに見える小さな祠の手前に少し大きめの祠があって役行者様がいらっしゃったと思ったのに・・
すると・・新しい石碑が・・え?移動したの?・・

「世界遺産・第七十五番靡「柳之宿」(一之坂・行者堂)跡地。この上、県道左に百メートルに再建・平成19年9月吉日)」

この3年間で変わったんや・・でも・・世界遺産を移動してもエエんかいな?・・

2004年
11月21日の写真

向こうの祠が
行者堂で隠れてる
 
ここから更に・・こんな坂を登っていくと・・
こんな景色が広がる少しだけ広い場所に。

ここも少し様子が変わっていたので・・お墓ができてた・・違和感があったが思いだした。
さあ!前進っ★
9:30 
完全な山道に入れば・・覚えてる★ここや〜★間違いないっ★下界では完全な方向音痴の私だが山に入れば自信があるっ♪絶対にここや★

・・と・・言うものの・・私は絶対の自信があるが、連れてこられた魔神は不安が募る・・それに、こぉ〜んなヤブコギ・・先頭に立って歩くのは・・もりりんだもんな・・

確かに、こんなにヤブにはなってなかった。イベントだから、その前に或る程度整備してくれてるし・・でも!「間違いないっ!ここでエエんや!」
ヤブを抜けると左手に「青年の家」が現れた。覚えていない・・
・・でも、そんなの関係ねえっ!・・このまま道ナリやっ★







突き当たりに出る。覚えとるわいっ★ここや★・・ホっと安心・・で・・
一旦、左に曲がって←玄関へ。

9:50 ここから入り直して境内へと進む。

9:56









9:58 丈六平(吉野神宮内)

史跡・名勝・吉野山「丈六平」
標高272m・・などと刻まれた標識の前に・・何か・・います・・怖いですね・・
鳥居をくぐって本殿の中へ入りましたが・・ついてきました・・全身、黄色に見えますが・・下には青・赤の毛皮も見えます・・まるで信号機です・・

「黄色〜青〜赤〜どれでも全部〜渡れ〜進め〜〜」だか何だかと歌っています

不気味です・・

お詣りをすませ、本殿に向かって左手から出る。出たところで・・小腹が空いたので・・ダンゴを食べ・・また本を出して、次の目標を決める。

私・・こういうの・・どわぁぁ〜い好きっ★冒険みたいで、どわぁぁぁ〜い好きっ★

少々・・道を間違えて・・バックしちゃうとこやった・・ぐっちぃさんの素早い処置のおかげで、あっという間に修正でき、難なく前進。

10:40
本殿に向かって左手の南門から出て右へ6〜700mの所にある
「大峯霊山・七十五度供養塔」

・・40分も吉野神宮で過ごしたわけだ・・この辺りで全員・・予定の72靡まで行けるはずがないと確信!無理っ!だぁ〜って〜誘惑が多いんだもの〜

この先は急な「不動坂」・・アスファルトの急な坂・・「不動」っていうから予想はしてたけど・・あ〜しんど〜・・山道ならエエけど・・アスファルトはきついなあ・・
10:53 峰の薬師堂跡・・興味がある方はクリック!(更に詳しく知りたい方は・・本を買ってね〜・・クドイなあ・・もうエエっちゅうねん!)

以前は「峯之坊宿」と呼ばれ、役行者の守り本尊である「峰の薬師」(如来様?)を安置していたと思われるそうだ。

「日本峯ノ薬師ノ三体ノ其一体」との記述が残っているらしい。
ちなみに・・二つめは愛知県鳳来町の薬師如来様。
あとの一体が不明・・
この薬師堂跡の左手の(・・と・・いうか・・進行方向)階段を登っていけば・・村上義光(よしてる)の墓がある。

南北朝時代に南朝の護良親王の身代わりとなって蔵王堂二天門の楼上で自害した人物だそうだ。

更に、1594年(文禄3年)二月(旧暦やな・・)、秀吉の吉野の花見の時に弟の秀長が茶屋を設け、千利休が茶を差し上げた「松山茶亭」の跡であると伝えられているそうだ。
11:02 広ぉ〜い駐車場。
トイレもあるし、自動販売機もあるし・・この日はあるだけで動いてなかったけど・・桜や紅葉の時期にはフル回転やろな〜
・・ふと見ると・・もりりん・・食堂に目が釘付け・・アカン・・もう止まらん・・

魔神夫婦は「行者うどん」。ニャアは山菜うどん。行者うどんには、よもぎ餅まで入ってるっていうから、おむすびも持ってきているし・・と、軽い方にした。
もりりんは、おむすびも食ってる・・

食堂のおばさんが
「どこまで行くの?」
「・・え・・と・・蔵王堂の方へ。行けるトコまで〜」
「そしたら脳天さんっていう神社があるよ。頭のことで・・病気とか、受験とか」
「え〜?そうなんや〜もりりん、頭の神様やって」
「・・・・・・」
「・・アカン・・食う事に集中しとる・・」

11:53 七曲がり下の千本

千本っていうのは無論、桜!

・・50分も休憩してたんや・・

もりりんの身体に隠れてしまう、ぐっちぃさん。
 
12:00 吉野駅からのケーブル前に着く。ここから、更に奥の方までバスが出ている。次回のことがあるので、ここから一番奥まで行くバスの時間を記録する。行きたい方はクリック★


さてさて・・次はいよいよ蔵王堂!
迫力の蔵王堂!


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